感謝の力 俺たちワイルドだぜ

今ある 身体は当たり前?

私たちが関わる周りの方々の存在って当たり前?

自分は異常?

人と違う行動を取る事って

異常なことなの?

協調性が無いことになる?

自己中ってどんなこと?

根本的に

どんな個性があっても

人と違うことしてても

考えてても

それも個性で

それが自分

この世にいるだけで

感謝

魂体だけだったとしたら?

想像してみて

周りに魂たくさんいるよね

ご先祖さまたちいるよね

見える?触れる?

イルカみたいに何千マイルも離れた仲間の音聴き取れる?

昔は文明が発達していなかったから

そんなワイルドな感覚器官が

普通にあったけど

便利になって

進化の過程で

なくなっちゃったんだ

だから、いまは

想像の世界でしかないように

受け止められるような事でも

実は事実で 在るもの

なんだ

今は目に見えたり 聴いたりできないかもしれないけど

視えてたり 聴こえていたりしたんだ

一対のペアのペンギンは相手を変えない

だから、僕、私でいいですか?

なんて 確認の必要すらない

決まっているのだから

それって

僕らも同じで

良いんじゃないだろうか?

変えて試す必要って

好奇心って

必要なのかな

世界史の勉強

◇今日 中学生と 一緒に 世界史の勉強をして

初めて 知った

自分が 中学生以降

どれ程の 世界観が 広がったのか

立体的に 時間軸の中と 空間との

両面から 3D的な広がりを

持つことができていることに

気づかせていただいた

心の筋トレをしながら

体験を通して

学んでいることに 気づく

◇昨日の バスケの後のミーティングも同じ

知的障害者の方の施設に ボランティアに行って

職員の方との会話でも 改めて

感じた

どれ程 自分が こうして 五体満足に

生命と生活を与えられ

生かされているか

それが 当たり前なことなのではなくて

本当に 感謝するに 値する

尊い状態なのかと いうこと

皆さん本当に 他の方の事を考えていらっしゃって

相手の立場や 気持ちを 理解しながら

優しく 対応なさっている

人が嫌がること

されてる 方を 尊敬する

エゴ=欲=我欲=間違った思い込み=自己肯定感の低さ=感謝の足りなさ=現状に甘んじる自分

謙虚に成長のための 積み重ねをすることしてこなくて

急がず 一歩ずつ 歩もうとしなくて

楽して 実力つけてやろうだなんて おもって

一足飛びな 効率の良い方法探しばかりして

一つ一つの積み重ねの大切さに目を向けなかった 今までがあったことを

知らされる

確かに 努力の仕方を知らなくて

結果が出でこなかったし

学歴がないから 自分は

ダメなヤツ って思い込みも

結構 原因で

そんな 価値観って

全くの嘘で

そんな モノサシを 自分が

持ってただなんて

恥ずかしくて

誰にも 言えないから

ここに

記す

そんな複雑に絡み合った紐の中に隠された

落とし穴を

一つずつ丁寧に拾い上げて

救っていくと

優しく 穴は 埋まり

活力が 漏れることなく

満たされていく

気の流れの循環も良くなり

人を 助けられる人に

近づいて行けるのかな